逢いたい人がいる。逢いたいと願う人がいる。 自分は彼の傍に自然と、けれど当然のようにいるものだと思っていた。 彼も自分と同じ気持ちだった。 なのに―――。 もう、過去形だ。 求めて求めて、やっと一緒になれて。 また、離れてしまった。 突然だったから、彼が望んだことなのかとか、自分が何か気に障ることをしたのかとか、判らないままで。 だから、悔しい。 時折、どうしようもなく泣きたくなる。 あの腕の温もりを、忘れてはいないから。 胸が、苦しくなる。 逢いたい、逢いたい。 彼と一緒に、時を刻みたい。 それだけが、全てなんだ。 暗い海に漂う、ユニウスセブンで交わされた停戦協定から二年。 地球と宇宙が。 騒がしくなっている。 「はぁー疲れた・・・」 座り心地の良いソファに身を沈め、アスランは大きく息を吐く。窓の外には穏やかな青い空が広がっている。しかしその青さも、今のアスランの疲れを癒すものではなかった。 肉体的というよりは、精神的な疲労。 あまり嬉しくない事実のことで多忙だったのは、確かなことだけれど。自分が思っていた以上に、体は休息を必要としていたようだ。 何も考えたくなくて、アスランは瞳を閉じた。 先の大戦から二年。 アスランは今、オーブにいる。 故郷は、見上げる空よりもっと遠く。 まったく帰りたくない、といえば嘘になる。が、結果的にザフトを離反した形となった自分と、そして。 自分の父と―――。 ザフトの兵士の一人に、銃で討たれた父の姿を、アスランは忘れてはいない。 忘れてはいないが、父の求めた世界は、間違いだったのだ。 もうこの世にいない者は、法廷に立つことは出来ないが、戦犯という烙印を押すことは可能だ。それだけのことを、やってきたのだから。 父も母もいない故郷を想う時。懐かしい顔も、浮かんでくる。 逢わなくなって久しい友人たち。時々、近況を伝えるメールを送るくらいだ。 逢いたいと望めば、彼らはオーブまで来てくれるだろう。それでも、お互い簡単にメールで済ませているのは、元気ならそれでいいと思っているからなのかもしれない。 なにより、本当に逢いたい人とは、連絡も取れない状態だ。 そのことが、淋しい。 何処にいるのだろう。何をしているのだろう。 届くことのない心は、行き場を失ったまま、アスランを少しだけ不安定にさせる。 それでも、あまり個人的なことで弱音を吐きたくはない。 アスランは、片付けられない課題に、頭を抱えていた。 コンコン、と扉を叩く音が聞こえて、彼は瞼を開いた。 「私だ。アスラン、入るぞ」 声の主はアスランの応えを待たずに、扉を開けた。 「カガリ・・・」 ズンズンと部屋に入って来たカガリは、テーブルを挟んでアスランの前に座る。彼女の眉間には、くっきりと皺が浮かんでいた。 「どうかした・・・?」 何故か機嫌の悪そうな彼女に、アスランは恐る恐る尋ねる。彼が逢いたいと願う人の双子の姉は、ゆっくりと眼を細めた。 「どうでもいいけど、あのデュランダルって奴は信用出来るのか?」 「デュランダル議長?」 「その議長様だ。平和を唱えているのに、何故ザフトの軍事強化などするんだ?私には判らない」 カガリの苦々しい声に、アスランは疲労が増すのを感じた。最近はこればかりだと思う。 あまり嬉しくはない事実。片付けられない課題。 停戦協定から、まだ二年。 コーディネータとナチュラルの間にあった溝が、完全に消えることは難しいという現実を、アスランもカガリも改めて実感している。 簡単に消すことの出来ない傷を、互いが背負っている。けれど、停戦に込めた願いや想いは、平和という日常だ。 誰も憎むこともなく、銃を持つこともなく。 たったそれだけのことなのに―――。 アスランは、唇を噛む。 戦争の苦しみを知っているから、同じ過ちを繰り返したくはない。 確かに自国の防衛は大切だ。しかし、過度の防衛力は、新たな火種の原因にもなる。 一体何から身を護るのか。その武器を必要とする理由は何か。 アスランが戦い抜いた戦争の始まりの引き金は、ユニウスゼブンへの核攻撃だ。それだけ、コーディネータとナチュラルとの緊張が、続いていた証拠でもある。 が、今は違う。 停戦は、破るためにあるものではない。 流された血の多さを知る者たちは、平和を築く役目がある。ザフトの軍事面の話し合いを、デュランダルに申し入れたのが、一週間ほど前。 オーブとプラントのトップ会談。 あまり公にしたくはない内容ではあるから、カガリが極秘にプラントへ行き、話し合いをする準備が整えられつつある。 アスランは、彼女の護衛として常に気を張っている。加えて、今回の極秘会談の調整役としても動いているので、体が悲鳴を上げていた。 しかし、いつもなら、すんなりとこなせることなのだ。モビルスーツで大切な彼と戦っていたことを思えば、あの時のような苦しみはないのに。 胸が、キリリと痛むのは何故だろう。 それはきっと。 頭のどこかで、停戦によって訪れた、まだ不安定さを残しながらも穏やかに過ぎている日々が、崩れてしまうのではないかという危機感が芽生えているからだ。 不安が、アスランの体を侵食している。考え過ぎなのかもしれない。気にしすぎなのかもしれない。 けれど。 ザフトの軍事関係のことは、地球側も入手しているはず。 摩擦が生まれないとは限らない。 怖い―――と思う。 またあの赤い炎に、世界が包まれてしまうのではないかと。 プラントは、ユニウスゼブンの悲劇を体に染み込ませている。振り上げられた剣を、止めるための戦いは、終わらせるためのものだったから。手に掴んだ新しい時代を、自ら壊すことはしないはず。 そう思っていても、怖いと感じる何かがある。 それを見定めるための、プラント行きだ。 「・・・アスラン?」 「えっ・・・?」 訝しげに名を呼ばれて、アスランはカガリを見る。 「何だ?黙ったままで。どうかしたのか?」 「あぁ・・ごめん」 アスランは柔らかく笑みを零す。オーブの代表として忙しい彼女に、自分の不安さを感じさせてはならない。 「デュランダル議長は、自ら戦争を起こすようなことはしないよ。彼はプラントの中で、最もナチュラルの人たちと共に歩む道を考えている人だからね」 「でも、軍事強化を許しているよな」 「それを確かめに行くんだろ。ここで愚痴っても、仕方ないと思うけど?」 クスッと笑ってみせれば、カガリはムッとした表情でアスランの睨む。 「わぁーかってるよ!愚痴って悪かったな!」 「あはは・・・ごめんごめん」 十八歳、女性らしくなったとはいえ、口調は相変わらずの彼女は、どこかアスランに安心感を与えてくれる。 大丈夫。この世界は戦いを望んではいない。そう願い、祈る。 「そうだ、アスラン。お前、ディアッカたちには連絡したのか?」 「連絡?何の?」 突然出てきた友人の名に、アスランは首を傾げる。 「だって、プラントに行くだろ。あいつらに逢う約束とかしてないわけ?」 「し・・・してないよ!極秘だろ!俺が自由に動いたら、変じゃないか」 「でも、極秘なのは私であってお前じゃない。時間はあまり取れないだろうけど、私のことなら気にせず逢ってこい」 「・・・いや・・・そういう問題じゃなくてさ・・・」 カガリの気持ちは嬉しいが、アスランはプラント内を自由に歩ける身ではない。そうしてしまったのは自分だから、後悔はないのだけれど。 本当は、自分の不安さを彼らに話して、彼らがどう思っているのか聞きたい。大丈夫だ、考え過ぎだと言って欲しい。 モニター越しでは、本当に言いたいことが言えないから尚更。逢えるのなら、逢いたい。 が、デュランダルの考えが確かめられれば、それでいい。世界が、暗い道を選ばなければ、それでいい。 「・・・カガリの気遣いは嬉しいけど、ディアッカたちには、ゆっくり逢えるときに逢うよ」 「そうか・・・。すまないな。せっかくの故郷なのに、お前を縛ることになって・・・」 「カガリが謝ることじゃないだろ。俺は、カガリを護るためにここにいるんだから」 「べっつにぃー!私はお前に護ってもらうほど、弱くないぞ」 「・・・それって、俺は頸ってこと?」 「バカだなぁ〜。お前のような危なっかしい奴、頸に出来るか。それにお前がいなくなったら、愚痴を言う相手がいなくなる」 きっぱりと言い切るカガリに、アスランはゆうるりと微笑む。彼女なりの優しさが隠された想いは、素直に嬉しい。気遣いに甘えたくなる時もある。 しかしアスランは、彼女の前では強くありたい。オーブを支える彼女の力になるために、ここにいるのだから。 「・・・逢って来いっていえばさ。プラントにいるディアッカたちには、まだ気軽に言えるけど、あいつは何処で何してるのか、私にも判らないからなぁ」 「あいつ・・・?」 天井を見上げるように漏らされた言葉に、アスランの体が強張る。 「あいつだよ。バカでアホでどうしょうもない弟。お前が一番逢いたい奴」 本当に何処にいるのか判らないんだよなぁと、続いた声は溜息交じりだ。 「・・・大丈夫だよ。あいつなら元気だと思う」 「まぁ、元気だろうけどさ。居場所ぐらい教えてくれてもいいだろ。ていうか、お前はそれでいいのか?逢えないのって淋しいだろ」 「・・・淋しいけど、いいんだ。あいつが何処かで幸せに暮らしているなら、それでいいよ」 「お前が良くても、私は良くない。お前はお人好し過ぎ!」 妙に強い口調のカガリに、アスランは困ったように笑う。 逢いたいと願う人。何処にいるのかも判らない人。体と心が求める人。 逢いたくないはずはない。逢いたくて、逢いたくて。でも、姿を消したのには、それなりの理由があるはず。 いつかその理由が聞けたらいいと思う。その時に、自分を求めてくれなくても、それでいい。淋しくて哀しくて泣いてしまうだろうけれど。 彼が幸せなら、アスランには何も言えない。 でもやはり、彼の隣にいるだろう人に、少なからず嫉妬してしまうのだろう。 そういう自分が浅ましく思えて、アスランは彼の話しをここで終わりにすることにした。 「はいはい。あいつのことは、ちょっと横に置いておくとして、まだ仕事が残っているから、それを片付けないとだろ」 アスランがソファから立ち上がると、カガリもそれに続いた。 「そうだよ。私はお前を呼びに来たんだ。どうもお前の顔を見ると、愚痴りたくなる」 「・・・なんで俺の顔なんだよ」 「そりゃあ、お前が愚痴りやすいから」 「・・・・・・・・」 にかっと笑うカガリに、アスランは何も言えなくなる。それでも、一人で抱え込むよりはいい。アスランは小さな笑みを浮かべた。 良く知る爆発音に、辺りが包まれた。 赤く、激しい炎が上がる。 一体何が起きたのか、判らなかった。 咄嗟に近くにあったモビルスーツに彼女も乗せて、俺は操縦桿を握る。 二年前の光景が、そこにあった。 何故、どうして―――。 地球と宇宙の溝が、塞がっていない現実。そして、フリーダムやジャスティスと良く似た機体。 プラントは、平和を望んでいなかったのだろうか。 プラントは、何のために、このモビルスーツを造ったのか。 判らない、判らない、判らない。 世界が、赤い。 赤く、染まって行く。 キラ―――。 キラ、キラ、キラ!! 俺はどうしたらいい?俺は何を護ることが出来る? キラ、お前と一緒だったら、俺のやるべきことは、直ぐに判ったのかな。 逢いたい、逢いたいんだ。 その腕で、俺をちゃんと掴まえていてよ。 そうじゃないと。 自分が崩れそうで。 怖いよ。 その日。 世界は、再び壊れ始めた。 |